悠々の刻を経て

「坂もの」

[富士山の度重なる噴火]

平安時代、800年〜801年に「延暦大噴火」と言われる大きな富士山の噴火が起きました。

この噴火は、「富士山三大噴火」のひとつとして知られています。もちろん、富士山の噴火は平安時代に始まったことではありません。

まだ文明が興る前の時代から、富士山は現在の姿に至るまで幾度となく噴火を繰り返してきました。

当時を生きる人々にとっては、天災は歩みを阻害する障害となったことは言うまでもありません。

一方で、噴火によって火山灰が降り積もり、野菜が育つ上でより適した土壌が形成されました。

これにより芋類などの自生野菜はより良質なものになっていったと伝えられています。

[精進料理の流行]

幾多の天災を乗り越え、迎えるは鎌倉時代。

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、日本では戦乱や天変地異が相次ぎ人々の不安と混乱を招きました。

そんな混沌とした時世の中、中国宋の寺院からもたらされた動物性食材や匂いの強い食材を避け、 海藻・野菜・茸類・豆などを主に用いて調理された、僧侶の食事である「精進料理」が好まれ、武士の間で広がり、室町時代には一般の家庭にも広まったのです。

この「精進料理」の流行により、箱根西麓地域で採れる自生野菜のおいしさが鎌倉や各地で、

多くの人々に知られることとなった

ということが語られています。

[交通改革と土壌改良の成功]

鎌倉時代がその幕を閉じた後、南北朝・室町・戦国・安土桃山時代と長らく混沌とした時代が続きましたが、いよいよ泰安の時がやってきます。

徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利した翌年の慶長6年(1601)、江戸と京都を結ぶ東海道が整備されました。

三島は東海道五十三次の宿場の一つである「三島宿」として大変栄えました。「箱根の下は天下の嶮(けん)、函谷関(かんこくかん)もものならず‥」(滝廉太郎・作「箱根八里」) と後に歌われるように、箱根峠は、東海道五十三次の中でも難所中の難所でした。

現在もその地形や気候は変わらず、しばしば濃霧に覆われる視界の悪い山道や、険しい急勾配が残り、峠を往来する旅人はこれらのことに悩まされていたことが伺い知れます。

三島宿と箱根宿をつなぐ「箱根路」には、幕命により「五ヶ新田(山中新田、笹原新田、三ツ谷新田、市の山新田、塚原新田)」と呼ばれる新たに五ヶ所の集落が作られました。 その地域に住む人々は、旅人を相手にした茶屋や木賃宿の運営、人足や駕籠かきといった運搬業を行い、その傍ら農業にも従事しました。

五ヶ新田を含む西麓地域では、居住屋根用に茅(カヤ)を育てており、良質な堆肥を作る為に、代々活用されていました。

人々が積み重ねた努力の結果、この地の土壌はさらに良質なものとなり、生産品目の増加にも貢献したと考えます。

[農家の増加と、生産の拡大]

明治時代になり宿駅制度が廃止されましたが、その後も東海道の重要性に変わりはなく、箱根を越える旅人や貨物の量は一時的に増加しました。

しかし、明治22年(1889)に東海道線が開通すると、五ヶ新田を含む西麓地域は大きな転換期を迎えます。

この年を境に、鉄道輸送が盛んになり、箱根を越える旅人・貨物は減少しました。その結果、茶店や 駕籠かき専門に従事していた人々が新たに山麓を開拓し農家に転身し、農業人口が年々増えていきました。 山麓・丘陵を開拓して開かれた山畑では、生産品目・生産量が共に増え、箱根や伊豆長岡などの近隣温泉地 の旅館に納められ、この頃から「坂もの」の名称が使われ始めました。

そしてこの時代から、西麓地域は関東・関西方面に向けての本格的な野菜の産地となりました。

(風土が培うタネの物語しずおかの在来作物参照)。

[再び苦難を乗り越えて]

このまま順調に生産が拡大していくと思われた矢先、社会全体の不況で野菜が売れなくなりました。

そんな産地を救ったのは、平井源太郎(1882〜1940)でした。

平井は、「農兵節(ノーエ節)」とともに、西麓地域の野菜を大きく宣伝しながら東京や大阪で売り歩き、「坂もの」野菜を復活させました。

三島市民馴染みの民謡である「農兵節」は、こうして全国的にも知られるところとなりました。

(風土が培うタネの物語しずおかの在来作物参照)。

[日本一高い野菜へ]

昭和20年ごろにはジャガイモの生産が本格的になり、コロッケ用として「男爵」の栽培から始まりました。

西麓地域のジャガイモは「日本一うまいジャガイモ」と言われ、東京の帝国ホテルではまるごと料理したジャガイモが提供されていました。

昭和45年ごろから市場性の高い「メークイン」が栽培され、現在の産地に発展しました。

箱根西麓の土壌は「メークイン」によく合い高品質なものが生産できます。加工用などのジャガイモは主に北海道で生産されますが、この地域のジャガイモは 加工用になるものはほとんどなく、高級野菜として市場販売されています。

現在西麓地域では、古来から伝承される根野菜の栽培は基より、ほうれん草や小松菜、レタス、ねぎなどの軟弱野菜、 果菜類など、少量多品目の栽培においても県下でも有数の良質野菜の生産地域とされています。

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